「まだ間に合うかもしれない」 ― 50代でふと芽生える、この気持ちを言葉にする

心と人間関係

50代に入ってしばらくたつと、はっきりした根拠はないけれど、ふと胸の奥で浮かんでくることがあります。
「もう遅いのかな」と思う瞬間がある一方で、「いや、まだ間に合うかもしれない」という微かな希望を持てる瞬間もある。
何かを始めたいわけでもなく、今すぐ変えたいわけでもない。誰かに言えるほど明確なことではないからこそ、その感覚に少し戸惑います。
でも、「まだ間に合うかもしれない」・・。今回はその揺れる気持ちを言葉にしてみます。

「もう遅い」と「まだ大丈夫」が同時にある - なんとも言えない気持ち

50代になると、人生の折り返しを過ぎたという実感が、日常のいろんな場面でふと顔を出します。「もう若くない」という事実は否定できません。
でも、若い頃のように無限に時間があるわけではないと分かっている一方で、まだ何かできるかもという余白も残っているように感じる。

  • 体力は落ちた気がするけれど、動けなくはない
  • 選択肢は減ったけれど、ゼロではない
  • 昔のようには戻れないけれど、今からできることはある気もする

その両方の気持ちが同時にあるからこそ、気持ちが左右揺れるような、説明しにくい感覚が生まれます。
どちらか一方に決めつけられないまま、ただその間を行き来しているような状態。
その曖昧さが、この年代特有の落ち着かなさなのかもしれません。

はっきりした目標があるわけじゃないのに

「これをやりたい」「こうなりたい」と強く思っているわけではない。
でも、何かが気になって、心がそわそわする。
明確なゴールがあるわけではないのに、今のままでいいのかどうかを自分に問いかけてるような感覚。
その曖昧さが、逆に“今の自分”であるようにも感じられます。
完全に諦めた自分にはなっていない。でも言葉にしようとするとすぐに消えてしまいそうな曖昧さが確かに存在している感覚・・それを“揺らぎ”と呼んでもいいのかもしれません。

何かを始めたいわけじゃない、でも止まってもいない

「新しいことを始めたい」という強い衝動があるわけではない。
かといって、「もう何も変わらなくていい」と思っているわけでもない。
日々の生活をこなしながら、心の奥ではゆっくりと何かが動いているような感覚。
それは、外から見れば変化がないように見えても、自分の中では確かに進んでいる“内側の変化”なのかもしれません。
スピードは速くなくても、確かに流れているものがある。50代はそんな状態で時間を過ごす年代なのかもしれません。

周囲からは見えにくい“内側の揺れ”

外から見ると、生活はそれなりに落ち着いて見える。家族にも、友人にも、職場の人にも気づかれないような、静かな揺れ。
誰かに説明できるほどはっきりしていないからこそ、自分の中だけで抱えているように感じることもあります。
でも、その揺れは「変わりたい」という強い意思ではなく、ただ“今の自分を見つめている最中”のようなもの。
外側には見えなくても、内側では確かに動いている。
その気持ちがある自分を認めるだけで、少し呼吸がしやすくなることがあります。

この感覚に、答えを出さなくてもいい

「まだ間に合うかもしれない」という感覚は、何かを決断するための合図ではなく、今の自分の状態を知らせてくれる小さなサインのようなもの。
急いで意味を確認したり、方向性を決めたりしなくても大丈夫。
ただ“そう感じている自分”をそのまま受け止めるだけで十分です。
答えを出さなくても、整理しなくても、その感覚はそのままあっていい。
それが今の自分にとって自然な状態なのかもしれません。

ゆっくりと、静かに、今の自分を感じているだけの時間があってもいいのだと思います。

この感覚は、日々の暮らしの中で、服選びのような身近な場面にも、そっと現れることがあります。

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