50代に入ると、「若く見られたいわけじゃないのに、老けたと思われるのは嫌」という、どこにも着地しない気持ちがふと顔を出します。鏡を見るたび、写真に写るたび、誰かの何気ない言葉を受け取るたびに、説明のつかないモヤモヤが胸の奥に残る。それは、見た目の問題というより、「今の自分をどう扱えばいいのか」が急にわからなくなる感覚に近いのかもしれません。若さを追いかけたいわけじゃない。でも、年齢を理由に何かを諦めたくもない。そのあいだで揺れる気持ちを言葉にします。
若作りではない。でも「老けた」と思われたくもない
50代になると、「若作り」という言葉が急に距離を縮めてくる瞬間があります。少し明るい色を着ただけで、「無理してると思われないかな」と頭をよぎる。かといって、落ち着いた色ばかり選ぶと、「老けた」と思われるのも違う気がする。どちらも望んでいないのに、どちらかを選ばされているような窮屈さがある。
本当はただ、自分にしっくりくるものを選びたいだけなのに、“年齢相応”という見えない基準が、いつのまにか背後に立っている。その基準に合わせるのも違うし、逆らうのも疲れる。そんな微妙な立ち位置に、言葉にならない息苦しさが生まれるのかもしれません。
「自然でいたい」という言葉が、いちばん難しくなる
「自然体でいたい」という願いは、年齢を重ねるほど複雑になります。自然体とは、何もしないことなのか。それとも、手をかけることも含めて“自分らしさ”なのか。どちらも正しいようで、どちらも違うように感じる。
若い頃は、自然体と言いながらも、多少の無理や勢いでごまかせた。でも50代になると、その“ごまかし”が効かなくなる。だからこそ、「自然でいたい」という言葉が、いちばん難しくなるのかもしれません。
周囲の視線が、ちょっと変わったと感じる瞬間
50代に入ると、周囲の視線がほんの少しだけ変わったように感じる瞬間があります。誰かが悪気なく言った「もうそんな年齢だもんね」という一言。店員さんの丁寧すぎる接客。若い頃には向けられなかった種類の“気遣い”が増える。
- 褒められ方が変わった
- 「落ち着いてますね」と言われるようになった
- 年下の人からの距離感が少し変わった
それは優しさでもあるけれど、同時に「自分はもう若い側ではない」という現実を突きつけられるようでもある。そのたびに、心のどこかがちょっとざわつく。
「まだ間に合う」と「もう無理かもしれない」が両方ある時期
50代は、「まだ間に合う」と「もう無理かもしれない」が同時進行する年代なのかもしれません。どちらか一方ではなく、両方が同じ強さで胸の中にある。だからこそ、何を選ぶにも少し慎重になり、少し迷いが増える。
若さを追いかけたいわけじゃない。でも、諦めるにはまだ早い気もする。そのあいだで揺れる気持ちは、誰にもうまく説明できず、ただ自分の中で続いていく。
この矛盾を、無理に整理しなくていい
「若作りはしたくないのに、老けたくもない」という気持ちは、どちらかに決める必要のない、ただの“揺れ”なのかもしれません。整理しようとすると余計に苦しくなるし、答えを出そうとするとどこか違和感が残る。
この矛盾は、50代を生きる中で自然に生まれるもの。無理に整えなくても、無理に意味づけなくても、そのまま抱えていてもいい種類のものなのだと思います。
この揺れは、いまの自分を確かめながら進んでいる証のように感じます。


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